2007年6月30日土曜日

シルポカラな休日

休日。

午前中、先輩隊員と人形劇の脚本を練る。

午後、同期隊員たちとタンガイルショドールにあるシルポカアカデミー(音楽学校)へ見学に行く。この国の民族楽器であるトブラを習いたいと思っている。が、この日は休日。この学校は木曜、金曜しかやっていないようだ。

バスで帰宅途中、黄金色の夕日を見る。純粋に美しい……、と思って(しまった)のだが、これは気持ちに余裕が出てきたということだろうか。そう思うことにする。

バングラデシュJOCV機関紙「ショナバン」原稿用の写真を撮影する。テーマは「炭酸飲料を飲みすぎて体調を崩し体重を落としたある隊員の悲哀」である。写真撮りをお願いした同期隊員は本当に嫌そうである。すんません。あんまり下品なポーズしてないけど。

2007年6月29日金曜日

人形劇・日本カレー

休日。

午後はカリハティへ。先輩隊員と人形劇のポスター案、脚本案を練る。

夜、日本の味付けのカレー。なんたる美味さ。

2007年5月31日木曜日

カリハティミーティング久々・レモネードのすすめ

ウィークリーミーティングに久しぶりに出る。しばらくぶりのカリハティJOCV全員集合。三人の新しい専門家も揃う。

結局、ミーティング後、帰宅。パイコラUDOとOからは、「熱があるときにはレモネードを飲むべし」との助言。

2007年5月30日水曜日

体調だいたい回復・日本カレー

大事をとって休む。大分回復してきたようだ。

朝、専門家の方がカレー(日本の!)を届けてくださった。

2007年5月29日火曜日

体調くずれやや持ち直し

パラセタモール(JICAオフィスより支給されている解熱剤)を飲まずとも済む。

少し調子が良いのでカリハティオフィスまで行ってみることに。バス。

結局カリハティでまた体調崩れる。そのまま昼過ぎに帰る。

2007年5月27日日曜日

2007年5月26日土曜日

リチュツアー本番・体調くずれ本腰

やはり朝から体調が良くない。

だが、ここに来た目的は果たさねば。

強い日差しのなか、ライチを食べる、食べる、食べる、食べる……。

午後、バスでタンガイルへ移動。

2007年5月25日金曜日

リチュツアー・体調くずれ兆候

バスでラッシャヒへ。プティアという街へ行き、ヒンズーの遺跡を巡る。
夜、中華料理屋で食事。どうも体調が悪い。熱があるようだ。久しぶりのお酒も進まない。
この日はホテルへ一泊。

2007年5月24日木曜日

ダッカフリーの木曜日

昨日オフィスでの用事を済ませたため、今日は一日フリーに。

ダッカ市内でゆっくり買い物など。

2007年5月23日水曜日

ダッカ・ドロボーマッケットへ

ダッカへ移動。単車の免許の申請をする。

その後先輩隊員に案内してもらい、日本の食材が手に入るという『ドロボーマーケット』へ。みりん、日本米(コミラ米)を購入。このマーケットで飲んだ茶は4タカ。任地の二倍である!

今日で、タンガイルに赴任してからちょうど一ヶ月が経つ。はやい、か、おそい、か、よくわからない。

2007年5月22日火曜日

いろいろな稲光

朝カリハティオフィスへ。

久しぶりにパイコラUDOと会うが、どうも私との連絡がうまく言っていないような気がする。私が言葉を理解できないというだけなのか、それとも連絡をあまりしないことを良く思っていないのか、それともそれとも……。

悪い状況を考えていけばきりが無い、その上に不毛である。過去の行動は分析するためにあるのであって、悔やむためにあるのではない。ウジウジ考えるのは止めた。

10時前、S隊員とバンガリにてビルバシンダユニオンのオフィスへ。今日はこのユニオンのUCCMを見学させてもらうことに。

そしてやはり(?)問題が顕わに。まず10時半開始というFOからの連絡が行き届いていない。さらに、収穫期ということで非常に集まりが悪い、また、ビルバシンダは広いらしく、遠くからのメンバーがなかなか来ない……、というそれぞれの言い訳が出てくる出てくる。

12時になっても10人弱しか集まらず、あわや流会か。

だがFOは流会にはしたくないらしい。UCCMをもう一度実施しようとすると、軽食代などなんやかやで、また余計に200タカかかってしまうそうだ。評価を気にしているのか?

メンバーはその後も来たり帰ったりを続け、12:40ごろ、病気という噂だったチェアマンが到着。ポツポツ人も増えてきたので、しばし雑談のあと、13:05分、UCCM開始。結婚相談所オフィサーの報告の際、やたらに盛り上がっていた。14:00、終了。前評判通り、2時間で終了。

やはりこのぐらいが調度いいような気がする。集中力の問題として……。ウチのユニオンのUCCMはゆうに3時間を越える。

夜、稲光。音もなく、雨が降るわけでもなく、ただ少し風がそよぐなか、いつものバザールの明かりに加え、ギザギザびかりのアクセント。写真に写したい光景だったが上手く撮影できず。しばし、しばし見物。ベランダは涼しい。これから夏がやってくる。もっと暑い季節がはじまる。そんな気がしていた。

2007年5月21日月曜日

お年寄りと、若者の誕生日

朝からカリハティオフィスへ。

オフィスのPCで休暇届けを作成しようと思ったがバッテリーが無い。他の隊員と会えたので、PCを借りて書類を作らせてもらう。URDO、ARDOに届けを出し、なんとなく本日は終了。URDOからは、「あなたもラッシャヒへ行くのか?」と聞かれてしまう(次の週末、ラッシャヒへライチ狩りの観光へ行く予定があった)。なんとなく秘密にしていたのに、あらら、バレている。思わず「ジー」。

その後、先輩隊員とともにバングラユニオン・イッチャプール村へ。先輩のこども教室を手伝っているベンガル人青年の家にてヨーグルトダワット。これがなかなか……、きつい。

この家で、いかにも「おばあちゃん」という感じの老婆に出会う。見た目も日本の「朗らかな」おばあちゃん。いい歳のとり方をされているのだなと感じた。80歳と聞いたが、本当だろうか。(ちなみに本人は60歳と言っていた)

夜、他の先輩隊員の誕生日祝いで、久しぶりのお酒。

2007年5月20日日曜日

鶏のテストと長い停電

朝6時半、ムクレダさんと待ち合わせ。パイコラオフィスへ。

鶏のワクチン接種研修の序盤、プログラムに関するテストを見学。総勢35人が受講しており、男性はそのうち10名ほど。私は写真係として多く撮影。

どうやら注射を行う予定が段取り上のミスで無くなったらしく、そのままムクレダさんとエレンガへ戻る。昼ごはんをご馳走になったあと雨が弱まるのを待ち、ショホデプールユニオンのMDMを見学。開始から30分弱で終了したが、それぞれの意見は多く出ているようであり、ディスカッションもきちんと行われていたと認識した。

その後カリハティオフィスでこの日の写真データをオフィスのPCに入れ、エレンガの自宅へ戻る。
今日は停電が長かった。(冷蔵庫のなかの状態から言って)おそらく昼前から、6時ごろまで……。

2007年5月19日土曜日

撮影その後かいもの

単車免許申請の為の写真を撮影。撮影所が自分の部屋の真下にあるとは。さんざん街なかを探して灯台もと暗し。
タンガイルへ買い物に行く。鍋、ザル、チャッカマン、グラスのセットなど。必需品の買い物は最後のつもりだったが、まだまだいろいろと買いたいものがでてくる予感あり。

2007年5月18日金曜日

2007年5月17日木曜日

ダッカ社会見学ツアー

先輩隊員がさらに先輩隊員のあとを継いで運営している「こども教室」の社会見学ツアーに同行させてもらう。毎週歌や勉強を先輩隊員から習っている子供達と一緒にダッカの職業訓練施設へ。

2007年5月16日水曜日

説教尻目に

UDOがオフィスの管理人に説教をしているようだ。
書類仕事。
14時に帰宅。

2007年5月15日火曜日

朝のタンガイル・ショドール

朝、UDOと一緒にタンガイルの街にあるLMTC(リンクモデル・トレーニングセンター)へ。

久しぶりにパイコラユニオンへ。

2007年5月14日月曜日

ビルバシンダユニオン・3村ジョイントGCM

朝9時半、カリハティオフィスへ。ビルバシンダユニオンの3村ジョイントGCMを見学。

ミーティングというか、NBDs 4人による講演会の状態に、そのまま終了。

2007年5月13日日曜日

エクスチェンジプログラム・栄養教室とひとり自炊

朝7時にエレンガユニオンへ。先輩隊員たちによる、エレンガユニオン・ショッラユニオンのエクスチェンジプログラムを同期隊員と見学。


昼食は、プログラムでつくったキチュリ。

夕食、はじめてのひとり料理。たまねぎ、にんにくのステーキソース炒め。食える。
こちらの野菜は小さい。皮を楽に処理するにはどうするべきか……。

2007年5月11日金曜日

ダッカの休日。

ダッカ。

首都ダッカ、刺激的な都会。であるが、村ほど何か起こるわけでもない。偏見か。

2007年5月10日木曜日

月例村落ミーティング

ダッカ。

カウランバザールにあるBRDBヘッドオフィス(ポッリ・ボボン)にて月例村落JOCVミーティング。

2007年5月9日水曜日

エクスチェンジプログラム、ナランディア・パイコラ

ナランディアユニオン・パイコラユニオンのエクスチェンジプログラム。

夕方からダッカへ移動。バスでダッカに上がるのは初めての為、先輩隊員と一緒に。バスの賃金までも値切る先輩に驚きつつ、JOCVハウス(地方隊員が首都で泊まる用のドミトリー)へ。

2007年5月8日火曜日

UCCM初参加・パイコラユニオン

朝カリハティオフィスへ。

そしてパイコラオフィスへ。私にとって初めてのUCCM(ユニオン連絡評議会)出席のためである。11時開始の予定だが、やはりまだ始まっていない。11:40、開始。

2007年5月7日月曜日

家の契約とスキーム・夜のお酒

シニア隊員とエレンガで待ち合わせ。新しい家の契約を詰める。

エレンガユニオンのUCCMを見学。

その後、ビルバシンダユニオンの道スキームを見学。

夜、楽しくお酒を……。

2007年5月6日日曜日

カロハ・GCMとMDM

カロハ村にてMDMとGCM開催。MDメンバーの女性たちが待てど暮らせど来ない。しばらく来ない。ぼちぼち来た、と思ったら顔だけ見せて帰ろうとする。この村だけはいつもこんな感じだ、とUDO。この日のミーティングは「ミーティングは誰のためのものか。ちゃんと出席すべきだ」とのUDOからの説教のみで、話し合いは行われず。

遅れてきた彼女たちは謝ることは無い。遅刻・欠席する自分たちが悪いとも思っていないだろう。「自分たちのためのミーティング」ならば、自分の都合で遅れたり休んだりして何が悪い、という理屈だろうか。

2007年5月5日土曜日

ベッドの完成と街での買い物・冷蔵庫

この日、頼んでいたベッドが完成す。

タンガイルの街へ。生活用品のこまごまとしたものを購入。鍋、ブラシ、洗剤など。そして、なんといっても冷蔵庫、冷蔵庫、冷蔵庫を購入。17,500タカ(同期の隊員と同時に購入し、2台で1,000タカ安くなった)。日本円で3万5千円ぐらいか。大きな買い物である。日本でのひとり暮らしの時代は中古4千円のものを使っていたなあなどと思い出す。

エレンガへの宅配を、バンガリ一台にまかせきりにしてしまった。当然時間通りには到着せず、領収書に書かれていた店の電話番号も繋がらない。気が気ではない。なにしろ、高い、高い買い物。

……結局マトモに届いたからよかったようなものの、自分たちが甘かったナア、と。

2007年5月4日金曜日

家の準備・エレンガ

新しい家の準備のため、朝からエレンガへ。掃除(ほとんどしていないが)、買い物など(カーテンやら布団やら)。

2007年5月3日木曜日

日本はゴールデン・ウィーク・われら飛び石の「石」

飛び石連休の、「石」の部分。

今日も休みになればいいのに……、と日本がいまゴールデンウィークであることを思い出しながら起床。だが、休みと仕事の境が、「いい意味」で薄くなっている気がする。いや村落隊員とは本来そういったものか? よくわからないが。

2007年5月2日水曜日

引越し・二日目・バンガリで

この日は仏教徒の行事日の為、またまた政府機関は休日。

本日も引き続き、引越し。大きめの荷物(帰国された先輩隊員から譲り受けたベンチ、テーブルなど)をバンガリにてエレンガの家まで運ぶ。

バンガリワラ(バンガリの運転手)はおおよそ常識では考えられない積み方をする。もちろんそれは、日本人としての、お客の荷物を預かる側としての常識からの感覚だが……。効率優先なのか、ただ一度に積み込みたいだけなのか、縛るための紐が届くかぎり、いくらはみ出してもおかまいなしに積む。そのおかげで一度の移動で済んだが、荷物が落ちなかったのは単に幸運だった、というだけだろう。

2007年5月1日火曜日

メーデー・引越し・ベビータクシー

メーデーの為、政府機関は休日。

この日、カリハティのゲストハウスからエレンガの新居へ引越し。とは言えベビータクシーで大体の荷物を運んだのみ。まだ住める状態ではない。水、壁、ベッドもまだ無い。もうしばらくカリハティでお世話になる。

2007年4月30日月曜日

村のなかの大きなにぎわい・ボッラユニオン

9時カリハティオフィスへ。今日はカリハティオフィス全体が暇なようだ。

……と思わず書いてしまうぐらいの雰囲気。UDOの書類仕事が終わるのを待ち、12時ごろからボッラユニオン経由でパイコラへ。

ボッラには「タンガイルサリー」の機織工場が多くある。そのひとつを見学。写真をとらせてもらう。カタカタカタというリズミカルな硬い、それでいて軽い音が心地よい。サリー織りの男たちの肌は薄暗い空間に同化して、鮮やかなサリーの色彩と、彼らの真っ白な歯だけが浮き出ている。この空間のなかから、色鮮やかなサリーが生み出されている。

ボッラのスキームの途中(道など)を二箇所見学。どこの村かわからないが、VCのチェアマンにも会う。ちなみにボッラの中心街はかなりの賑わい。映画館もある。また散策に来たいと思う。

パイコラオフィスへ着くが、特にすることもない。FOも今日は不在。UDOもなにか書類仕事らしきことをやっているが、なんとなく暇そうだ。

昼のご飯を分けてもらって、しばしの歓談。彼は5時まではここにいるというので、ひとりバンガリでエレンガ、そこからバスにてカリハティへ、帰宅。

2007年4月29日日曜日

週始まり日曜日、いろいろの始まり

9時カリハティオフィスへ。ジョイニングレターをURDOへ手渡す。ダッカの役人へはコピーをとって渡すので、一枚でいいとのこと。先輩隊員から、オフィス設置のPCの使用方法を教えてもらう。16-3の方々の報告書やその他資料などが閲覧できるようだ。しかしなかなかPCが立ち上がらず。バッテリーの調子が悪いようだ。隣のPCはウィルスに感染したまま、またJOCVが使えるマシンもウィルスソフトが期限切れのまま。

COアニス氏の仕事(?)が終わるのを(2時間半ぐらい)待ってバンガリでガタゴト、パイコラオフィスへ。着いたら二時前ぐらい。

カロハ村。前回も訪ねた道づくりのスキームの最終段階。給料の話し合いと最終決定のサインをもらう。測量をしていたのは、どうやら掘り返した土の容積で、給料の額を決めているようだ。確かに時間制よりもこちらのほうがはっきりしているような気がする……が。

もうひとつ、別の村のスキームへ。レンガで家を造っていたが、何のスキームなのかはわからずじまい。(※追記:複数ユニオンのジョイントで図書館を建設するスキームだった)







右側の枯れ草みたいなんが敷き詰められているのが、普段の道。こうやって乾かす。土に混ぜて屋根や壁の材料にしたり、かまどに火をつけるときに使う。道いっぱいに置かれているので雨が降るとすべって危ない。土手にある茶色いのは牛糞。こうやって乾かす。燃料になる。


4時前、バンガリでひとり、エレンガへ。他の隊員と合流し、引越しのための買い物など。

2007年4月28日土曜日

休日バザール、2タカのチャ

休日。

同期隊員とカリハティのバザールをぶらりとしてみる。先輩隊員無しで、初めて任地の「チャドカン(現地のお茶屋さん)」に入ってみる。やや、緊張。甘ったるい2タカ(3円)のチャに口をつける。落ち着くのである。


このキレイな建物は、ここタンガイルでプロジェクトを行うために日本の資金で建設した「プロジェクト関係者用」の宿泊所である。村のど真ん中に立っていてなかなか目立つ。安全のために警察署の敷地内にあるのだが、この国では警察があまり信用できない、という話を良く聞く。外国人からも聞くし、当のベンガル人からも聞く。ここの国民は「お上」をまるで信用していないところがあるので、まあ話半分ではあるが……。
バングラデシュにアメリカの平和部隊「ピースコープ」が現在派遣されていないのは、かつて派遣されていた女性隊員が警察署内でレイプされたため、という話がある。ウワサだが。

協力隊員は村でのその辺の家を自力で探して借りて住む。家が決まるまでは上の宿泊所で泊まらせてもらった。電気がしょっちゅう無くなるが、快適だ。

※2010.11.06追記 プロジェクトが終了した2010年の現在では、この建物は地元の資産家に買い上げられ、この辺の金持ち用のアパートになっている。

2007年4月27日金曜日

バングラデシュの新しい風 ロケ地にて

金曜日は休日である。

先輩隊員のご家族がタンガイルにいらっしゃっていた。一緒にバングラユニオン・イッチャプール村へ行く。私の派遣前に放送されていたJICA広報番組「バングラデシュの新しい風」のロケ地巡りである。やや興奮。





その後、先輩隊員が仲良くしている村人の家へ。ここの兄ちゃんが新婚さん。



新婚のうちはこうやって飾りつけをするそうだ。旦那のほうは嬉々として「写真撮れ撮れ、俺も撮れ!(撮らなかった)」といろいろ案内してくれる。奥さんはほとんど出てこなかった、が、日本人の集団は女性のほうが多かったので、恥ずかしそうにお茶を出してくれた。先輩隊員のお母さんが、日本からのお土産の髪留めを渡すと、ぎこちない笑顔で受け取っていた。

この家はマッシュルームをつくるサイドビジネスをしている。もう帰国した先輩隊員が始めさせたようだ。今も続いている。

これはバケモノ。バングラデシュの「国の果物」、カタール(ジャックフルーツ)。

2007年4月26日木曜日

カリハティ週ミーティングに初参加す

カリハティWeekly Meeting。

毎週木曜日、朝9時よりカリハティのBRDBウポジェラオフィスにてミーティングが行われる。9:20の開始。

ミーティングの内容であるが、オフィサーひとりひとりが「先週何をしたか」「来週の予定」を発表していく。それがひととおり終わると、URDOなど一応「上」の立場の人間が問題点を指摘し、助言をしていく、もちろん参加者は意見があれば溌剌に述べてはいるが、全体的に「ミーティング」というよりは「報告会」であるな、との印象を受けた。

もちろん会議の内容はほぼ理解できず、先輩隊員に教えてもらった。

「スキームを実施する際に、住民の費用の一部を負担させるのは、『住民参加型』としてのプロジェクトと住民との関係性を強め、維持するためだ」という説明だけ、ふむむ納得。

2007年4月25日水曜日

赴任三日目

朝は先輩隊員に同行してもらいエレンガの家を見に。先輩の見事なダマダミ(値段交渉)により当初の額よりも大幅に下がる。ここで決定。5月の1日から入れるようだ。今から楽しみ。

その後、CO(コンピュータオペレーター)のアニス氏と落ち合い、バンガリ(三輪自転車に板をくっつけた荷車)でパイコラユニオンオフィスへ。バンガリ気に入っちゃった。

その後昨日の村へ。道の舗装について喧々諤々。何を言っているのか、どうしてモメているのかほとんど理解できなかったが、ああ、村落っぽいなぁ、とひとり悦に入る。





オフィスへ戻り、またUDOの弁当を半分もらう。このトルカリ美味しいんだよな。

それから4時ぐらいまで書類を読む(ふりをしながら過ごす)。私のこれからの活動プランなんかを聞かれたが、考えてないし答えられないし、また辟易ぶりが鮮明になるわで、悔しい……。ちくしょうめ。

エレンガからバスでカリハティへ戻る。バス代金は8タカ(が正規料金)。

2007年4月24日火曜日

赴任二日目



朝9時カリハティオフィスへ。とりあえず。

同期隊員とふたりなので少し心強いが、先輩隊員が別の仕事へ出かけた瞬間、やはりの不安感。とっても声の可愛いRA(リサーチアシスタント)の若い女性(しかし子持ちのタニヤさん)に、大使館表敬の際の新聞記事を見せてもらう。感動の最中、我がカウンターパート到着。

自分の担当区域であるパイコラユニオンを案内してもらうことに。つまり、はじめての村らしい村の景観へと。思った通りと言うか、思った以上の、しかしいい意味で意外性もなく、「村」らしい景色に包まれているなぁ、と。

道の舗装についてUDOと村人が話す。そこで物知り顔をする私。虚しい、が、少し嬉しい。その後小学校へも。子供がワァーッと来るのを想像していたが、授業中のため? 誰も来ず。切ない、が、まだまだこれから。

オフィスに戻りカウンターパートふたりとなんやかや話すが、こちらがほとんどベンガル語を解さないことにちょっと辟易ぎみのようだ。

2007年4月23日月曜日

任地カリハティへ・赴任初日

赴任。

カリハティの郡BRDB内、PRDPオフィス内にて顔合わせ。ベンガル語での自己紹介、しどろもどろであたふた。実質的な同僚となるUDO(ユニオン開発官)(男性)とFO(フィールドオーガナイザー)(女性)、ともに良さそうな人柄で安心。

先輩隊員にカリハティの町を案内してもらう。面白そうな商店が多くある。この界隈の探索だけでもしばらく有意義に過ごせそう。

本日から新居が決まるまでしばらく、警察署の敷地内にあるJICA借り上げのゲストハウス(現在先輩隊員3名が住んでいる)の一室にて仮住まいをさせてもらうことに。

2007年4月5日木曜日

行きと帰りじゃ違うのよ。運次第なのよ。そして深夜は結婚式。

ひとり朝からCNGに乗って、ィスクールへ。(バングラデシュの人は英語の「ス」の音を発音するときに「イ」の音が入る)
カントンメント(軍用地)をこっそり通り抜けられた。ミルプールからボナニまで80タカなり。

帰りは同期と相乗り。今度はカントンメントの入り口でアーミーに見つかり、引き返す。ボナニとミルプールはカントンメントを通り抜けできないと(外国人は入れないことになっている)かなりの遠回りになる。ということで朝と同じ移動で130タカ。


さてホームステイ先の僕の部屋は何度見ても豪華過ぎる。寝るときにはお手伝いの15歳少年が水を持ってきて、そしてモシャリ(蚊帳)を張ってくれる。




この家の夕食は夜11時。ベンガル人はだいたいそんなもんらしい。トルカリは老夫婦なので味付けは薄め。ココナッツの風味がある。非常によくしてくれたし、いっぱい食べさせてくれて本当に感謝している、が、ここのトルカリは苦手だったんです。すんません。

寝ようとするとガヤガヤ窓の外でいっている。向かいのコミュニティーセンターで結婚式。

2007年4月4日水曜日

モジャな女性校長アミナ先生と金持ち宅でビクビクのはじまり

このへんの日記は、2010年に、バングラデシュではなく日本で、そのときに書き残していたメモやら日記やらレポートやらを見ながら書いているものです。だからつまりそのときのリアルな、リアルタイムな、リアル興奮な、そんな気持ちやら、終わったあとの、ちょっと冷静になって見た感想なんかが混じっている。深夜特急か!

EBLC(語学学校)の二日目。

もちろん停電は、勉強中にもやってくる。ろうそく灯りの教室。

そして今日から語学訓練の一環、ホームステイのはじまりだ。同期10人がバスに乗せられ、それぞれを受け入れてくれるホスト宅でひとりひとり降ろされる。そのときにならないと、自分がどの家なのかわからない。バスが止まりそうになったときのまわりの風景なんかを見て、「ここか……」「ここはヤだな」「いいな」などと密かに喚起恐怖の繰り返し。

右に見える建設途中みたいなアパートが、同期のホームステイ先。



空き地でこどもたちが、クリケットをしたりギャングみたいな雰囲気で遊んだりと、見ていて飽きない。



バスはミルプール地区を走る。


僕がホームステイさせてもらうのがココ。「イチバン当たり」とされている(あとで知った)家で、ホストファミリーのなかでは最も金持ちでいい家。これまたあとで同期に確認すると、個室が与えられていたのは自分だけだった。ホームステイというか、ペンションに泊まっているみたいだ。

この家はおじいちゃんとおばあちゃんの老夫婦と、その孫のイザン、三人の暮らし。娘夫婦は海外にいるそうだ。しかしこのときの僕のベンガル語はさっぱりだったので、「死んだ」説もある。
ここのおじいちゃんは、数十年前、まだこの国が東パキスタンだった時代にクリケットのナショナルプレーヤーだったそうだ。家にはその頃の写真やトロフィーがいっぱい飾ってあった。

これがこの家の王様、イザン。クソがきである。

カメラをとりあげられる。

この家に住み込みで働いている少年。料理、洗濯、掃除は彼の仕事。15歳。

この人はドライバー。プライベートカーを持っているホストファミリーもここだけだった。

夜は車で知り合い(親戚?)の結婚式へ。400人ぐらいの人がいて、あまり話せない僕は周りの人にニコニコしながらトルカリをかきこむ。疲れた。

2007年4月3日火曜日

ダッカ・ボナニ・高いところから失礼します

この日から語学学校開始。あ、これ、低レベルのクラスに配置されたぜ。燃えるぜ。

クラスは違うが、同じ時期に韓国のKOICA(コイカ)ボランティアもいるようだ。彼らは協力隊と違って事前の訓練が無い。なかなか大変なようだ。生活費はKOICAボランティアのほうがいいみたい。
KOICAボランティアのうちのひとり、キレイな女の子だがオロナなどしてない。サロワカを着ていない。ノースリーブにジーンズ、完全に「自国での私服」と同じだ。さすがだ。そしてワキの下が青く塗られている。なんなんだ。さすがだ。

語学学校のあと、同期とメシを食べに行く。さすがの首都ダッカ、ということでビルの6階ぐらいにある(階段でのぼったが)ちょと洒落たようなレストランに行ったのだ。

まあ客は他にいないし、電気もついてないし、「停電だったから料理時間かかるよ」とか言われてすごく面倒くさそうにオーダーとられたけど、まあいいんだ。

そのレストランからの風景。ここはボナニ地区。

 グルシャン2方面を見たところ。向こうに見える高いコンクリむき出しのビルは、建設中の「ウェスティンホテル」


向かいのビルの屋上では水浴びをするオッサンもいる。四月アタマ、もうかなり暑いのだ。雨もまだ降る時期じゃない。



2007年4月2日月曜日

四月バカ明けは説明ばかり

オリエン、オリエン、オリエン……。

その後、帰国隊員の報告会。自分の前任の報告がおもしろい。お疲れ様でした。

2007年4月1日日曜日

ボウズがボウズをボウズにしていたよ

JICAオフィスへ。専用バスの快適さよ。

所長表敬。しゅっ、とした感じの女性だ。(※追記。このときの所長は、この後事業仕分け行政法人編でテレビにうつっていた「萱嶋信子」さん)

病院で予防接種。なんの注射だったか……。

昨日一緒にニューマーケットに出かけた同期の男連中。四人のうち自分を除いた三人すべてが坊主頭である。「プレッシャーに感じてると思ったら大間違いだ!」と言ってある。

そんな彼らはドミトリーでボウズのケアに余念が無い。


なんてエイプリル・フールな光景だ。

夜、村落、リンクモデル組の歓迎会に招待してもらう。海田先生ご夫婦とも初対面。ごちそうさまでした。

2007年3月31日土曜日

ダッカ・ニューマーケットへ

はじめての「丸々」の海外での一日ということだ。朝起きてから昼メシ食ったり、なにやらして、夜寝るまで、すべて日本の外にいるのが初めてなのだ。26歳初体験のその日は、やはりまあ、でかけることにした。

同期隊員の男連中と4人で。そのなかにひとりバングラデシュが四回目(!)でもう言葉もソコソコイケルぜ、というのがいるので彼に頼りっぱなしだ。



とりあえず彼の案内で、首都ダッカのなかでも最もにぎわうという、なんでも市場「ニューマーケット」へ買い物しに向かう。ドミトリー近くのグルシャン2ノンボールからCNGで。100TKだった。





しかしこの乗り物CNG。天然ガス(Clean Natural Gas)を使っているからそのまんま頭文字でCNGという名前になっているようだが、こいつがチョコマカと小さい図体でそのへんを飛ばしまくって走るもんだから恐ろしい。


撮影してみる。このときは後ろの座席に四人ぎゅうぎゅう詰めで乗った。あとから、四人のときは運転席にひとり乗ると良い、ということがわかる。が、コレは女性にはムリだなあ。

2007年3月30日金曜日

タイ→バングラデシュへ到着







↑タイの空港内のトイレにあったフランス人の落書き。

ここまではタイ。




はじめてバングラデシュへ。今朝までのトランジットのタイを除けば、完全なる「初海外」ということになる。

空港内、なんだか臭い。汗臭い。「アジアに来たんだな」となぜか思う。他のアジアなんて知らないけれど。荷物ぐちゃぐちゃで置かれている空港内。「やっぱりアジアの混沌だぜ」すんなりそう思った。入国カード記入中、蚊が襲ってくる。