2009年12月22日火曜日

夕方その1その2・アリフの夕食と交通カイゼンなるか

夕方(ここ一週間は昼間は上着がいらない、あたたかい)その1。

テレビのリモコンを探してグルシャン2をふらついていると、パンジャビ坊主頭姿のイケメンに声をかけられる。誰やねんと身を固くしていたのだがよく見ると、よく世話になっている印刷屋の兄ちゃん、アリフ(29歳・新婚)である。

こりゃ幸い、ということで買い物に付き合ってもらい(ベンガル人がいっしょだと値段交渉やってくれるから……)、その後どさくさにまぎれてメシもご馳走になる。

「あんたんとこの子供はいつできるのよ」と聞く。
「子供……、2、3年あとの話だよ」
「なんでそんなにあとやねん」
「まあ……、へへへ」

口のまわりをチキングリルの油でテカテカにしながらアリフ29歳新婚は笑う。幸せなのだろう。



夕方その2。

ニュースを見ていると、交通。




世界で最も劣悪な道路状態、といわれるバングラデシュ。残念なことに本当らしい。バングラデシュの道路といえば、ここ数年で一気に増加したマイカーはもとより、バス、トラック、バイク、CNG、リキシャ、バン(荷車)、なんていっていいのかわかんない車、ヤギ、牛、物乞いの方、などなどがまったくそれぞれのルールで移動し、もちろん全員が自分優先というこれ以上ないエネルギーのたまり場、昼間であればこれに熱気とリキシャワラなど労働者の体臭なども相まって、「なんというか人類本来の祭りが行われているのだなあ」と、ブッ飛ばしてくるクソったれバスを避けながら思うのだが、

最近、

この交通状況の改善をしようとしている! 良いことだ……。


金髪ねーちゃんもリキシャで。


ダッカの近頃では、女性ドライバーもちらほら見られる。
だからといって交通マナーが良いということは無いようです。

今日のニュース番組によれば、首都の混雑する道路に「こっちはバス専用、あっちがわはリキシャだけ、こっちはなんでも」のような「表示」を路面に直接書いて、まーそんなんあっても誰も守らないから、さらにポリスが立って、誰が違反してるかビデオ撮影していて、撮影してるから交通整理できてなくて、結局いつも以上に混雑している状況が無残にも映し出されていたのだ。

少しずつ変わっていく意識もあるのだろう。二年前までは「度胸」と「勇気」でしかわたることのできなかった交差点、まず自動車用信号が付き、最近(いつのまにか)、歩行者用信号までが設置されていた。この信号に無条件に従うとまずハネられる、という今のところの状況だが、変わっていくのだろう。








街はクリスマス一色、ということはもちろん無い。
 場所によってはひっそりとクリスマス・ツリーの準備。
 

2009年12月15日火曜日

バングラデシュで最もかっこいい、物売り

明日はビジョイ・ディボーシュ(戦勝記念日)だ! ということでいまはバングラデシュ中が盛り上がってる最中であります。



この国の誰もが愛する、緑地に赤、バングラデシュの国旗を誇らしげに売り歩く。この時期にあらわれる「国旗売り」は、やっぱりバングラデシュでいちばんかっこいい物売りだと思うのです。



明日の戦勝記念日を祝って、なのかなんなのか、アワミリーグ(現在の与党)の青年部がワッショイワッショイ、ラリーを行っています。


演奏つき。


日バ有効旗?


カラスたちはそしらぬ顔で。

2009年12月14日月曜日

国旗売り・ふたつつながってCNG


12月16日、ビジョイ・ディボーシュ(戦勝記念日)用の国旗売り。イカシテるのです。グルシャン2近くの交差点。



CNGに乗って移動していると、故障して止まっている別のCNGのわきに止まりまして、「どうした?」「いや故障しちゃってんのよ」「あ、そう」「引っ張って?」「あ、いいよ」ということで修理屋まで連結、引っ張っていったのです。前のやつに私が乗っています。うしろにも客が乗っています。

いつもよりもゆっくりと走る2台つながったCNGは、なんだかトコトコトレインのようで、なんだかのんびりとした気分、になるわけもなく、阿呆のように飛ばすほかのバスやらトラックやらにあおられながら、トコトコと走っていったのです。

2009年12月13日日曜日

おとなりさんは家族計画


今朝の霧


最近、ひょん、といいますか、ああトップダウン、ま命令、という感じで職場が増えている。普段の配属先であるBRDB(バングラデシュ農村開発局)のとなりにDGFP(家族計画局)がある。ここのコンピュータ関係の指導をしている。

いま進んでいるのは、ここの図書館にある本の検索システムをつくることで、彼らといっしょにやる。


いちいち格好つけんでいいのです。普通にしてくだされば。


綺麗に見えるかもしれませんが。よおく見るとそれほどでもないのです。




夜、ひさしぶりにダンモンディに。この辺は最近新しい店やらビルやらがボッコボコである。ダッカ内でもかなり、都会的な、いうたら洗練された、まゴミゴミはしてる、でも結構素敵よ、な活気にあふれて。

2009年12月12日土曜日

後悔の湯船は五日前・冬

あー風邪! と叫んでもしょうがない。くさい息がマスクに跳ね返ってひとりヤラレルだけなのである。相変わらず調子は悪い。明日、土曜日いちにち休めば大丈夫でしょう……、と思わねば気がめいるのでそう思って、もう書いちゃう。

原因はなんだろう。乾季で霜季で冬、つまりバングラデシュの季節というなんだか姿の見えない大きなもののせいにするのは簡単だが、それだとあまりに救われないというか、そこから逆算しての解決方法というか、今後に向けての対策なんてものが見えてこない、じゃーこれからの健康生活に向けていっちょPDMでもつくってみましょうか! という雰囲気にはならないので、ちょっと具体的に考えてみると、

まー考えるまでもなかった。湯船に入ったから。

5日前ぐらい、「肝心」の風邪のひきはじめの時代であった。隊員ドミトリーに人が少なかったのをいいことに、私は男性居室の風呂場の湯船にお湯を張って、実に四ヶ月ぶりの「お風呂」に入ったのである。いや普段シャワーみたいなんは浴びていますよ。

思えばそこが転換期であり、「あーやっぱりな」という安心感さえ漂う後悔とともに、ゆるやかに私は風邪をこじらせていったのでありました……。

ドミトリーも週末、人が多くなってきたので居候先に戻る。夜。肌寒い。



12月、だがもちろんクリスマス・イルミネーションは無い。昼間は緑色をしている池の向こうに見えるのは、金持ち専用病院(右のキンキラキン)と、結婚式の会場(左の白いやつ)である。
寒い。

2009年12月9日水曜日

熱冷ましの二日目と Union Website

PRDPクォータリー・ミーティング二日目、だが行けず。風邪をこじらせたまま。ドミトリーで寝込む。
やっぱりアレですね。無理に湯船もないもんだ、ということで他の隊員が恵んでくれたドーナツ(おいしい)をかじりながら、また寝る。

今日のミーティング二日目でしゃべる予定だった「Union Website」。結局、資料ごと他の隊員に任す。おねがいしまーす。

概要は以下のようなもの

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現在、PRDP-2 の15 union、プラス、タンガイルショドール郡の5 union、計20 union の「ユニオンレベル」のWebSite(ホームページ)を作成する予定がある(もちろんプロジェクト提案)。

1. What is Union WebSite?
2. Why Union WebSite is needed?
3. How to manage Union WebSite?


1. What is Union WebSite?

ひとつ例をあげる。






これはシラズゴンジ県、マダイノゴールユニオンのwebsite。グラミンコミュニケーションズのプロジェクト、「One Village One Portal」を通して開設されたもの。
マダイノゴールでは、UPからの最新のユニオンの情報が、「UIC(Union Information Centre)」のオペレーターによっていつもエディットされている。

2. Why Union WebSite is needed?

ユニオンに住んでいる人はもちろん、ユニオンの外、郡の外、県の外、もちろんバングラデシュの外からも、このマダイノゴールユニオンの情報を見ることができる。
右側にはユニオンの人口や面積などの基礎情報が表示され、左側のメニューからは、学校や病院の位置、SAAOやシャストなどのNBDsとどのようにすればコンタクトができるか、などを見ることができる。「村人のWishList」というものもあり、これはユニオン内での村人の要望がプライオリティの高い順に表示されている。

このように、ユニオンの外に向けて、ユニオンの状況を知らせるため、また、ユニオンの中で、ユニオン住民が、自分たちのユニオンの情報を知り、自分たちで情報を発信することで、発展へのサポートとなりえるもの。これがUnion WebSiteである。

PRDPが展開されている地域で、Unionレベルのwebsiteを運用することは、Link Modelを広めていくうえで非常に強力で有効なツールとなる。PRDPが入ってるユニオンでは、ユニオンの基礎情報はもちろん、GCを組織する段階で各グラム単位での詳細なデータは集まっている。スキームやトレーニングなどのプロジェクトの活動に関してのデータや写真も多くあり、すぐにwebsiteをオープンすることができる。もちろん、UCCMの内容などをアップロードし、「Digital・ノーティスボード」として使用することも可能である。
UCCメンバーであるNGOやNBDsなどとも連携し、各組織の情報をwebsiteを通じてまとめ、住民に知らせることができるのも強みとなる。
もちろんこれらのことはリアルタイムで外部に向けて発信されることになる。内部の機能の強化、そして外部への情報提供、これを同時に行うことができるのがunion websiteである。

3. How to manage Union WebSite?

どのように運営するのか。
いろいろなパターンが考えられる。PRDP、BRDBが主導で行うこともできるが、ドメインやサーバ等を準備するためには予算も必要である。その手続きや、プロジェクトの場合であれば、それが終了したその後どうするか、などを考えると、やはりユニオン単位として、つまりUICやユニオン内にあるテレセンターを本拠地として行うのが、持続性を期待するには最も現実的である。
ユニオンのオフィシャルな情報を載せるものであるから、UPのなかに設置されているテレセンターで行うのがもっとも良いだろう。幸いなことに、PRDP実施ユニオンでは、ほとんどのユニオンポリショットに、インターネットができる環境が整っている。

UICなど、オペレータが常駐しているテレセンターはよいが、実際にwebsiteを更新するのは誰か? という問題がある。
このunion websiteは、もちろんプロジェクトにもメリットのあるものだが、基本的にはユニオンのものであり、今後継続するためにも、ユニオン単位で完結して運営していく必要がある。

いま現在、ひとつアイデアがある。グラミングループのプロジェクトとして行われている、「one village one portal」というものがある。これはひとつのユニオンにひとつのwebsiteを開設し、最終的には、村人が情報を発信することでユニオンとしての収入を確保していこうとする試みである。最初にお見せしたマダイノゴールユニオンは、第一バッチとしてこのプロジェクトに参加し、UPにあるUICでunion websiteを運営している。
このプロジェクトに参加するメリットは、まず、グラミンがテンプレートを用意し、ユニオンのオペレータは、自分たちのデータを入力するだけで開始できる環境が整っているということ。このwebsiteの不具合は、もちろんグラミンがすべてのサポートを行ってくれる。また、とりあえず現在は、このwebsiteを開始するにあたり予算が必要ないこと、また、グラミンとしてはこのプロジェクトは永久的に続けるものであるため、PRDPの終了後も、websiteは残るということ。そして、ユニオンのオペレータに対し、websiteのeditに関する研修が行われている、ということなどである。

いろいろややこしいことを言いましたが、union レベルでのwebsiteの運営は、PRDPにとっても、もちろんユニオンにとっても、非常に有益なものであると思う。

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というようなことを、まずプロジェクトスタッフに説明。今回のミーティングはプロジェクトの関係者だけのものなので、プロジェクトにとってどのようなメリットがあるのかを入れているのだが、実質的にはもちろんこれはユニオンのものであり、村人のものだ。

上記に書いたことは、グラミンの「OVOP(One Village One Portal)」についての説明にかなり影響を受けたものだ。
ホームページよりも先に必要なものが云々、という議論はもちろんある(電気も無い場所もあるし)(でもまあそんなこと言ってたら何にも進まない)、グラミングループの「村人が情報の送り手となり、そこから収入を得る」というモデルは、私は面白いと思う。時間がかかるかもしれないが、援助によって「いびつな発展」を半ば遂げてしまったバングラデシュのような場所では、日本の常識的発展段階(んなものがあれば)というものは意味を為さないのかねぇ、とも最近思う。

2009年12月5日土曜日

コミラ県UCCMセミナー前夜・午前0時のDCオフィス

明日、

は土曜日で休みだというのに、じゃない今日は金曜で真剣な休みだというのに、などと文句は言いません。書くだけです。うそうそ。
明日コミラ県で大々的に開催される、県下にPRDP-2のUCCMを周知しよう、というセミナーの手伝いのために拉致される、もとい着いて行く。まー首都から近いとはいえ村なので、ダッカですさんだこの心、なぐさめるにはちょうどええ……行きます。



これが会場。コミラ県のDCオフィス会議場である。私自身の仕事は機材の手配とか配線とか、つないでみたり、トイレの位置を確認したり、わーうつったよ、とか喜んでいたり、していたりするとあっという間に終わったのだが、他の箇所の準備は深夜0時をまわっても終わる気配がない。驚きませんけども。



飽きたので、じゃなかった気分転換に外へ、他のひとたちの話し合いは別の建物でやっているので、誰もいない。12月、バングラの冬、けして強くはない風が、冷たい。日本はクリスマス気分で盛り上がっとるんやろか、といっても自分、昔から縁なかったものなあ、嘉村磯多的気分になる。タバコすって、うんちして……、




ここにチラッとうつってるのが、このコミラ県が任地のスケベ野郎、じゃなかったエリート隊員のI氏である。彼とコミラ県ティタシュ郡のウポジェラチェアマンの協力によって、今回のセミナーの実現がなされ、UCCMの普及についても一気に加速した。あっぱれな男である。

明日はこのオフィスが、コミラ県のお偉いさんで、いっぱいとなる。

2009年12月3日木曜日

素敵なカウラン・夜のバザール

暗くなったら寒いのです。もうこの季節。霧も立ち込める季節になりました。田舎はもうすぐ、ショリッシャ(からし菜)を植えて、見渡す限りの黄色が、見るものを幼き頃のハウス劇場の世界へ……、

だがここはダッカ。自然の美しさはほとんど無いけれど、生きる人がつくりだす熱い美しさがあるのです。



バングラデシュ最大のバザールといわれている、カウランバザールの夜。私の配属されているオフィス、BRDB(バングラデシュ農村開発公社)がここにあるのです。

2009年12月2日水曜日

チッタゴン丘陵地帯・Cultural Diversity Festival 2009

1997年の12月2日、チッタゴン丘陵地帯(CHT)における平和条約が締結されました。それを記念して、数年前からバングラデシュ政府やUNDPなどが中心となって、CHTの文化や風習などを紹介する催しが行われています。

今年は12月2日~5日まで、ダッカ、アガルガオにあるボンゴボンドゥ国際会議場にて「Cultural Diversity Festival'09」が開催されています。


2009年11月30日月曜日

夕焼け・11月のおわり編




夕焼けばかり。手前は緑。こうして見ると首都ダッカも木が多い。歩いてみるとそうでもない。

2009年11月29日日曜日

アスファルトに消えない血・コルバニイード

今日の写真はわりかしショッキングかもしれません、といっても牛を解体しているところです。犠牲祭の模様の写真です。苦手なかたは半目にしながら読んでいただくか……、得意なかたは……

 

今年のコルバニ・イードは首都で。前回二年間、二度のコルバニは村にいたので、村のなかのおおきな広場みたいなとこで、みんなが共同で買った牛がわんさか集まって、土の上で30頭ぐらいの牛が一度に解体されてたりなんかして、それはそれで壮観ではあったのだが、

ダッカの、都会の、今回写真をとったバリダラ(高級住宅街)の、犠牲祭もまた、これまた、衝撃というか、なんというか、住宅街なので、それぞれが家の前で、やたらにでっかい(金持ちだから)牛をバラしている。アスファルトだから、血がしみこまず延々と流れていく。いたるところで作業しているもんだから本当に血なまぐさい。遠巻きに解体を見る金持ち一家と、作業を行う雇われ青年と、肉をめぐんでもらうのを袋片手にソワソワ待っている物乞いの方々と、カメラ片手の外国人。












あとで流すのだが……



昨日の記事に載せたでっかい二頭です。





 牛ではなくヤギのところも


解体された牛は、骨も内臓もまったく捨てるところがない
この日残るのは皮だけ。それも売られていく。




アスファルトのうえの血は、息を呑むほど鮮やかだ。



犠牲祭、どれだけの貧しい人間に肉を分け与えたか、それはアッラーに対する信仰のあらわれである。この日、高級住宅街バリダラ地区には、一年でもっとも(自称)貧しい人間が集まる。配布をはじめる家をさがし、肉をもらう順番を待つ。


夜になっても

2009年11月27日金曜日

今年は明日。11月28日。




11月27日、夜。なんてことはない、月である。

やや肌寒くなった11月終わりの夜に出たいつもどおりのやや欠けた月、なのであるが、本日これが出たことで、明日がコルバニ・イード(犠牲祭)であることが決定する。

首都ダッカでコルバニを迎えるのは三年目で初めてのこと。いたるところにつながれている、明日のための牛牛牛。



ダッカのコルバニ用の牛は、でかさが違う。


地方の村で、親戚みんなでちょっとずつお金を出し合って買った牛とは、もちろん質もでかさも違う。キンキラキンに飾りつけられているのもいっぱいのダッカ住宅地。明日はいたるところが、血みどろになる。犠牲祭の日なのである。




僕のいのちも明日まで、というあきらめか、これでアッラーのもとへ、という誇りか、それとも何もわかっていないのか、犠牲祭前日の牛の表情については、諸説ある……。

2009年11月23日月曜日

いちごいちきろ、すぐ忘れる

書いておかないとすぐ忘れる。

あ、写真はとってないんですわな。なのですぐ忘れる。


今日のオフィスからの帰りに立ち寄ったスーパーマーケット。イチゴがなかったんです。というのはつまり前はあったということで、そのときのことを今書いている。ほんとうに、書いておかないとすぐ、思い出さなくなるのです。このバングラデシュというやたら密度の濃いところにいても。

イチゴ、という果物は、今まではこの国では無かったものなんだけでも(輸入の冷凍ものはあった)、昨今、富裕層の消費者に向けて、国内での生産が始まっているのでありまして、NGOやいろいろのところでチラホラと生産しているという話は聞く。ただ生のイチゴ、日本で売っているのと同じような感じのパックのものを店頭で見たのはこの前(一週間ぐらい前)がはじめてのことだった。そうそうそのときの話。

10個いりのパックで売られていて値段は書いていない。


おそるおそる、店員に「いくらでしょうか……」こんな小汚い僕でも買えるような、いや一応外人ですけど、お金はあまりなさそうに見えるかもしれませんが、たとえば奥さんとの結婚記念日なんかに奮発するぐらいの覚悟は持って、このスーパーマーケットに来てるんです、奥さんいないけども。

などと聞いてみると、こちらのその一瞬の悲哀の物語などに動じる様子も無く、店員さん、「1KGが2100TKです」とおっしゃるのです。

いや流石。

日本じゃ食べられない美味しーいマンゴーが1KG100円で買えるようなこの国で、おなじ1KGが2100TK、つまり3000円ぐらい、というのはまあコレ、さすがのストロベリーである。10個パックは250gと書いてあるので、つまりは750円ぐらいでしょうか。あれでもこれよく見るとオーストラリアのやつだよ。輸入だよ。冷凍じゃないんだあ、へえ、でも高いね……、

と果物コーナーで悶絶、放屁などしていたのが、一週間まえの話。


で、今日はなかったのです。イチゴ。ひとつも置いていなかった。売れたのかなあ、売れないからやめたのかなあ、というのが今日の話。こういうのも書いておかないと、すぐ忘れるから。

2009年11月22日日曜日

CNGに閉じ込められるときの哲学

ダッカです。

ダッカといえば渋滞、を起こしているのは我々。乗っているのが車、でそれはリキシャからバン、オートバイ、乗用車、バス、トラック、ミシュック、電気リキシャ、と、忘れちゃいけないCNG。

このクリーン・ナチュラル・ガス(別の説もあったか)で走る革命的、こま鼠的、愛すべき小さな緑のあんちきしょうは(別の色もあるよ)、我々協力隊にとって、都会での(地方にも最近はあるよ)貴重な足である。

そんなCNGにこの二週間ぐらいで、明らかな変化が見られる。ドアである。普段客である我々が乗る後部座席には左右のドアなど無かった。長期契約や買取で利用する「プライベートCNG」と呼ばれるものにはドアが付いていたのだが、流しで色々な客を乗せる、「普通」のCNGには無かった。つまり乗っていて寝返りを打てば、外に放り出されてリキシャか車か牛かヤギに踏まれるだろうし、むしろこのドアが無いからこそ、座席の空間を超越して、じゅうたんや電柱や野菜など各種荷物を、容量500%ぐらいまでは積むことができていた。

現在、ダッカを走る70%(なんとなく、のデータ)ぐらいのCNGに新しくこの左右のドアが取り付けられている。














この閉鎖感。
たまーにいい感じのCNGに乗ると、ちゃんと内側からドアがロックできるようになっているものがあるが、ほとんどはなんとなく、上の写真のような監獄のようなドアを外から(ドライバーが)ひもだとか針金とかで固定して閉めるようになっている。つまり内側からは開かない。出られない。

閉じ込められているのである。

何で? と私が居候している家の使用人、ミントゥさんに聞いてみたところ、「知らない」という。「でもそれはデンジャラスですね」と明るく笑うので私も笑っていたが、確かに夜など、変なところに連れていかれそうになったときに、飛び降りて逃げることもできない。

などと大げさに書いたが実際乗ってみるとコレ、以外と安心感があるのである、完全に四方を網で囲まれて、ダッカの喧騒から保護されている気分。ホコリはものすごい入ってくるけど。網だから。なるほど、安心感と閉鎖感は表裏一体のものなのだなあ……、とダッカの悪い道をガタゴト揺られながら妙な感慨に浸り……。

何で? とドライバーに聞いてみると「決まりだから」という。「新しい決まりができたんだ。政府が決めたんだ」と。強盗対策、という噂もある。物乞いの方々もあまり寄ってこない。ふーむ、保護されるというのと、閉じ込められるというのは……




その道中、ドラマかなにかの撮影を、むちゃ渋滞している橋のうえで行っていた。今までであれば、ちょっと飛び降りて近くで野次馬して写真を撮るのだが、なにしろ安全に閉じ込められているので、そのなかから盗撮す。