2010年7月31日土曜日

寝るまでが寝苦しくなければ

寝る、のが好きだ。

いや純粋に眠ることです。セックスのことではない。いやいやセックスが嫌いということではなくてそりゃ、好き、といいいますか、いや大好きですし、むしろ愛して、いるのは言うまでもないので、よいとして。

暇を見つけては眠るようにしているが、ちゃんとした「ねむり」に入るのはなかなかに遅い。人より遅いんじゃないのかと思う。比べたことはあまりないように思う。目を閉じて、足を投げ出して、腹の上下に呼吸を感じながら、「ああこうしているあいだにも、時間は過ぎていくのだなあ」「人生が減っていくよ」などと思いながら、もちろん視覚は一応お休みと、いうことになっているので空気のにおいや、網戸から入ってくる冷たい風なんかを感じながら、うだうだとしている、そういう時間を愛してる、というのです。


さて夏は暑い。


寝苦しい、のが別に嫌いではない。

暑くなくても快適な夜でも、特に寝付きが良いほうではないので、この眠れない時間に頭のなかでうろうろと、次起きたときには絶対に覚えていないようなショーもねぇことを考えるのも楽しい。

2010年7月30日金曜日

小倉は日帰りできる場所:センチメンタルな新岩国駅

中学時代からの深い友達、つまりはかなり変態的な会話までを挨拶のように交わすことのできる相手、と小倉まで遊びに行くことになった。この友人は今では、勤務時間が不規則な立派な仕事についており、ぽっこりと休みになったこの一日を狙い澄ましての小倉行きである。

朝出発、この友人が昔住んでいた団地の近くの、墓場なんかがあるらへんで写真をなぜか撮っていたようで、変な時間に新岩国駅着でいきなりの一時間待ち。

ご存じ山口県は新幹線王国であり、駅は五つもあるものの、そのいちばん東に位置する我らが新岩国駅には、各駅停車の【こだま】のみが止まることを許されている。

つまりは都市部のような軟派な駅とは明らかに一線を画し、「次のがすぐ来るだろう」なんて呑気な考えは死につながると言ってはもちろん過言。時間ぴったりに行けばそれはそれで焦るし、ちょっと時間があるなというときでも、錦帯橋の模型でも見ますかね、とやってももちろん二秒で飽きるし、かなり待つときにはどう時間を使うかという人間性、それが試されるわけで、これは同行者との今後の関係を占うには成田空港以上の物語が繰り広げられる、そういう場所である。

とにかく、今回のように最も待つパターンで一時間待ち、そんなときにはおとなしく、駅前の喫茶「まつば」で遅めのモーニングを食べるに限る。ゆで卵を食べながら、お互いの携帯電話の電波の入りなどを自慢しあっていれば、軽く時間など消費できる。軽いものだ。



こだまといってもやはり我々ぐらいになると1時間待った挙げ句、すでにテンション下がりかけながら乗り込むのはナチュラルに500系こだま。元のぞみだったボディを持つスレンダーな美人ちゃんである。どうせ僕喫煙者だし、といちばん端っこでポツンと待っているのは危険だ。500系こだまにはいちばん外側の乗車口が無い。そもそもこいつには喫煙車両も無いのだ。

そんな無い無いづくしの新幹線に乗ってみれば客も無い。この車両には我々二人組しかいない。こりゃ1時間待った甲斐があったわ、ってんで運転させてもらった、のが上の写真で、他には誰もいなかったのに凄く恥ずかしかったのは付記するべきだろう。




工場萌えの身としては徳山通過時は興奮する。キレイだ。







お目当てはあったのです。北九州市立美術館でやっている「生誕150年記念 アルフォンス・ミュシャ展」。500系こだまで移動する身分なら休日もアカデミックでないとね、というのは嘘で、これは友達が行きたい行きたいうるさかったからなんとなく着いていったものです。そういえば新幹線を1時間待っていた喫茶店の「まつば」でもミュシャの絵がかかっていたなあ。演歌も流れていたなあ。

2010年7月29日木曜日

夏の日に腹の肉に構う

夏には腹を出す。暑ければ気が滅入る。腹の肉をつまむ。余計に暑くなる。

腹の立つことなど、もちろんここ最近無いが、腹が出ていることには薄々気づいていた。それも約五年も前からのことになるが、それにももちろん、腹は立っていない。



なんというか、こういう写真を、上のも下のも撮っているというのにはもちろん理由があって、それは人から頼まれて、というのを正直に申し上げておりますけれど、なんで男の腹の写真やねん、という疑問にもなると存じますが、けしていや自分で気に入っているとかそんなことはないんです。

適当に画像加工していたら、あら、なんだか、うん、モノクロなんかにしてみると、そうだね、この腹のふくらみ、陰影なんか大したもんだね、言ってしまえば80年代ノンポリ的退廃芸術だね、

などということには、もちろんなっていません。ただ腹が出ているのについて腹は立てていません、というのは正直に認めます。

この日記は7月28日のもの、写真撮影日もその日ですが、実際に書いているのは8月頭の、うちの母ちゃんの誕生日ということで、こんなに立派に育つことができました、ありがとうございますということにします。


追伸:上の画像を加工したり、アバンギャルドだね、とかいう文章を書いていたときと、その画像をこのブログに実際にアップロードしているときには、つまり時間が経っているわけで、冷静になってみるとなんだかものすごく恥ずかしいことをしているな、ということは書きたくもなかったんですが、まあいいや。腹は立ってません。出ているだけです。

2010年7月15日木曜日

岩国→名古屋→松本、の不通を恐れる快便旅

三連休にあわせて長野旅行へ、と。カタギの暮らしはしていないというのに世間の休日ラッシュに巻き込まれるのは我慢がならんぜ、というので前のりして平日出発。

朝まで山陽新幹線は不通。そりゃ普通に不便だけど快便しながら待っているとなんとか昼前に快便、じゃなかった開通。よかったということで新岩国から広島乗り換えで名古屋へ。


西では一番カッコいい(と思う)500系こだま。いかしてるぜ。一番先頭は乗務員用の乗り口しかないのにそこでずっと待ってて入れずに乗り損ないそうになっても、シビれるぜ。

名古屋で一泊しようかと思ったけれども、また雨でバス不通、なんてことになったらいくら快便でも名古屋でちゅうぶらりん、となるのは切ないので、一気に名古屋→松本まで行く。大雨のなか松本駅近くのビジネスホテルからコンビニまで折りたたみ傘を買いにいくも、この帰り道を最後に梅雨明けへとなだれ込んだのでした。快便。

2010年7月14日水曜日

どしゃぶりに雨とニッポンがフレフレ

クソ雨の降る日のこと。広島。元気をいただいたのは、


こんなに自信満々な方を見ると、なんだか世の中の小さなことで悩むのが馬鹿らしくなって、ああ、男とか女とか、金持ちとか貧乏とか、クソとか味噌とか、ああなんだかなんでもどっちでもいいや、という気分になったクソ雨の降る日の広島。

場所は比治山の広島市現代美術館


「美術館」での展示というだけで最初の両性具有な方でさえ崇高なものに思えてしまうのはくだらないことです。けれどここで行われている「HEAVEN 都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」では、あえての美術館でやっている、それも含めてひとつのなんちゅうか、尊い下世話、なんか、人間の生々しい生き様がむせかえるような、そんな快感を味わうことができるような。


場内はすべて撮影がOK。


「個人」ほどおもしろいものはない。その個人が住む部屋ほど強烈なものはない。


ラブホテルの部屋。だって今まで冷静に部屋を観察したことなかったもんですから。


イメクラの部屋、これももちろん冷静に観察なんて……


広島っぽいぜ。ひだりがわの写真とパネルは、広島市民にはおなじみの「あの方」です。


世界に誇るニッポンの「KARAOKE」まるまる再現。




秘宝館。みんなが大好きなところ。みんなが大好きなところが、展示されているところ、が、展示されている。ひとりでここをヘラヘラと見ていると、カップルが入ってきてクソ野郎、という気分になる。まさか現代美術館でこんな気持ちになるなんて。


しかし個人的に印象的だった、というか素晴らしく思ったのは、美術館の展示には付き物の、そのへんに立っていてたまに説明してくれる学芸員のおねーさんたちが、いつもの崇高な展示と変わらない(ように見える)テンションと表情で、立っていてくれることだ。この秘宝館の入り口のそばでさえも。

2010年7月1日木曜日

きまぐれな画面と無頼とネス

部屋のPCモニタの調子がおかしい。おかしいというか怪しい。怪しいというか胡散臭い。胡散臭いというか、しょうもない感じの状態になっている。

画面の明るさ「無頼とネス」もとい「ブライトネス」のマイナスが勝手に押されっぱなしの状態になっている。なのでほっておくと常に暗い。暗い画面でエロ動画など見ると昼間から全裸で外に飛び出したい衝動に駆られるので、これはつらい。無理やりに明るさプラスのボタンを押して、明るくすることはできる。もちろん指を離した瞬間に「いやーん」といった感じでニュルニュルニュルと、また暗くなっている。当たり前に、こちらの気分も暗くなる。暗い画面で音楽など聴きながら、いったん散らかした衣服をとろとろと着ているとますます切ない気分になっていく。これはつらいよ。

たまに電源も勝手に切れる。上の誤変換「無頼とネス」は、勝手に画面が切れて見えない状態のまましばらくタイピングした結果である。